はじめまして、ほしこです(@hosico_ozlife)。おずぶろぐ。にお越しいただきありがとうございます!
「ほしこってどんな奴だ?」と思った方へ、私の自己紹介をしたいと思います。
基本情報
概要
- 30代女、赤味噌県民
- パートナーは8歳年下のイギリス人
- 動物好き。茶トラ猫♂をレスキュー団体から迎え、現在は2匹目検討中
- 読書好き。漫画からスピ系まで何でも読みます
- 映画好き。パートナーに影響されて何でも観ます
- 海が好き。オープンウォーターダイビングのライセンス習得済
- 料理好き。レパートリーを増やすべく日々練習
- オーストラリアに来て10キロ増なので、地道にダイエット中
英語を始めたきっかけ
当時、保育園児だった私は「将来英語は絶対に役に立つから、今のうちに勉強しておけ」と母に言われるがままに英語塾に入学。
更に小学校1年で習字、そろばん、水泳、ピアノと毎日のように塾通いをしていました。
中でも、英語が一番長続きしているので、母にも、送迎をしてくれた父にも感謝です。
吹奏楽と英語ばかりの学生時代(メンタル弱め)
周りよりも英語を始めるのが早かった、ということで得意科目は英語。完全に文系。吹奏楽部。
- 中学3年で町主催のオーストラリアへのホームステイプログラムへの抽選に外れ
- 高校は日本で出ておけという親の説得でカナダへの高校進学を諦め
- 友達がみんな受験する近所の公立高校の受験に失敗し
海外に行きたい欲が溜まる中、進学したのは滑り止めで受かっていた国際交流盛んな私立高校。
入部するまで知らなかったんですが、ここの吹奏楽部が全国大会常連の強豪校。
結果、勉強そっちのけで、朝から晩まで、夏休みもテスト週間も部活ばっかりやっていました。
大所帯で部内の競争も超激しく、田舎の弱小吹奏楽部出身の私のメンタルがずたぼろに。
ものすごい鬱状態で安定剤もたくさん飲んでいたせいか、この辺り日々の記憶が曖昧…上位だった成績も急降下。
目標にしていたアメリカへの1年留学も、留学先で何かあったら大変なので、医者から指示で断念しました。
そして待ちに待った2年の夏休み、修学旅行でオーストラリアの姉妹校に6週間のホームステイ!初海外!
メルボルン郊外の田舎でホームステイ(だだっ広いファームだった)をしました。
その後、推薦で英語科の短大へ。
部活の人間関係から離れてメンタル回復。楽器はやめたくなかったので、友達の紹介で地元の市民吹奏楽団に入団。
ここでの英語力はTOEIC450点くらい(笑)母の後押しもあり、翌年休学して単身ニュージーランド、オークランドの語学学校、EF Auckland校へ。
このEF Auckland校での1年がものすごく楽しかった!
帰国後のTOEICは900代半ば。予想以上の大幅アップで、すごく嬉しかったのを覚えています。
成長が実感できなくて焦っていた社会人時代
帰国後、無事に短大を卒業、商社に就職しました。英語は全く使わない仕事です(笑)就活は苦戦しました…
TOEIC900あったら余裕じゃん!と思ったのにね。+αで専門性(会計とか、ITとか)も持ってたら強いんですが、英語だけでは話にならず。
仕事で自己成長が全く感じられず、習い事をたくさんすることで補おうとしました。
- 通訳・翻訳者養成学校
- 着物の着付け
- 株取引
- ベリーダンス
- 市民吹奏楽団
- 人脈作り交流会参加
なんであんなにスタミナがあったのか…若いって素晴らしい。
20代後半にさしかかり、どの彼氏とも続かない、婚活するも全くピンとこない、仕事の内容も変わらない、株も儲からない、と閉塞感でいっぱいだった当時。
運気の上がる壁紙wを設定してみたり、良縁を願って京都の鈴虫寺へ行ったり、出雲大社に一人旅したりと、完全に人生迷子(笑)
婚期を逃す覚悟でワーキングホリデー を決意
このままじゃいけない!私は海外で働く!と思い立ち、ワーキングホリデー協会へ。
親には「婚期逃すぞ(笑)」と言われただけで、特に反対はされず。無事にブリスベンへ。
最初の1か月は語学学校の手配してくれたホームステイでした。
オーストラリアに来て2週目辺りにママとおしゃべりしながらキッチンでワインを飲んでいた時。
「言葉にすると願いが叶うのよ!言ってごらん!」と言われ、即座に「仕事が欲しいです!」と(笑)
そしたら「あら、うちで働く?」と言われ、履歴書も出さず仕事ゲット。
ママの経営する市内のホテルレストランでルームサービスの仕事で、時給は24ドルくらい。
が、飲食で働いた経験はゼロ。授業後、夕方から1日3時間のシフトなのに疲れて翌日起きられないくらい疲れる日が続き、合わない仕事ってあるんだと実感。
その上、期待された成長に満たないという理由で、3か月くらいであっさり解雇。
「オーストラリアに来たからにはする仕事は絶対にローカル、オーストラリアっぽいやつで、絶対に日系の仕事はしない」と決めて就活。
ローカルのカフェ、ホテル、レストランへ突撃レジュメ配りをすること丸1-2か月。全く上手く行かず、精神的に限界が…。
人生で初めて仕事が楽しいと思える職場に出会う
そんな中、たまたま日豪プレスで見つけた求人へ応募。
運命とか、引き寄せの法則とかの存在を実感する就職先でした。詳細はnoteに書いています。
人生で初めて仕事が楽しい!
1日8時間くらい炎天下の中を走り回って、週5で働いても疲れない!合わなかった最初のレストランとの圧倒的な差。
「こんな良い職場で6か月しか働けないって短くない?マジ運命感じるし、もうちょっと長く働きたい…」とオーストラリア人の同僚に相談した結果、とんとん拍子にスポンサーが決定。
結局この会社で3年半働きました。
企業スポンサーを貰ったその後
この仕事のおかげで、英語力とずっと欲しかった専門性(観光、航空関係)をゲット。
専門性があると、その後の就職活動に有利になります。
「自力でビザを取るまで出会いを求めない、彼氏を作らない、ビザ取れないなら1年で帰る」と決めていたので、永住権が下りるまでの間、3ヶ月1回くらい有給を取ってはオーストラリア国内をひとりで旅行。ここでひとり旅の楽しさに目覚めました。
高校でメンタル病んだせいか、モラハラ元彼の影響か、基本的にスーパー人間不信。
オーストラリアでの滞在資格を、いつ終わるか、いつ豹変するか分からない恋愛関係に依存させるのだけは絶対に嫌でした。
彼や彼の友達・家族に「ビザ狙い」を疑われるのもすごく怖くて。未来のパートナーとのフェアな立場をゲットし、周りからの疑惑防止の為、「ビザは自力取得」を前提にしていました。
結果、永住権をゲットしてしばらくして、シェアメイト兼会社の後輩だった彼と付き合うことに。
このブログで発信していくこと
- オーストラリア観光情報
- オーストラリア生活情報
- ひとり旅
- 国際恋愛について
- ワーホリ関係(英語学習、就活)
- ブログ運営
縁と幸運に恵まれて住むことになったオーストラリア。
もともと旅行好き+オーストラリアの旅行・航空業界勤務なので、チャンスがあれば色んな所に出かけて、オーストラリア各地の魅力を伝えていけたらと思います。